アジアで初めて開催された2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会。日本代表チームは強豪国を次々と打ち破り、史上初となるベスト8を達成しました。この歴史的な快挙の裏側には、競技力向上のための環境整備と、事前の分析に基づいた綿密な準備がありました。
このセッションでは、日本ラグビーフットボール協会で男子15人制代表チームのアナリストを務める浜野俊平氏を迎え、史上初のW杯ベスト8の舞台裏、そしてアナリストの取り組みについてお話いただきました。
ハイパフォーマンスとアナリストの役割・価値
試合に向けた準備の中で、選手はスキルやコンディションを上げ、コーチは対戦相手に応じた対策や練習のプランを立てますが、浜野氏はラグビーのアナリストの役割について、「試合前の準備の、ひとつ前の段階の準備を行うこと」と述べています。
また、浜野氏はハイパフォーマンスという言葉を「プロフェッショナルな環境を作り、選手の競技力向上を図ること」と定義。映像やスタッツはあくまでも、客観的指標を用いて取り組むためのツールであり、トレーニングの中でのハイパフォーマンスとアナリストの価値は、「一度のトレーニングで最大の効力を発揮させること」であると浜野氏は述べています。
ラグビーW杯ベスト8に向けた取り組み
次に浜野氏は、ラグビーW杯に向けた具体的な取り組みについて話を進めます。
浜野氏の分析によると、ボール・イン・プレーとラックのデータから、ライバルとなるアイルランドとスコットランドよりも日本のゲーム強度が劣っていたことが分かりました。この2カ国に対抗するために必要なこと、それは練習でこのゲーム強度を体感すること。各ドリルの時間を計測し、目標とするボール・イン・プレーの指標を達成できる練習を計画。さらに、ライブデータを活用し、その場で修正を行うことにより、練習で試合以上の強度を体感することができたと浜野氏は言います。また、ゴルフカートにモニターを設置するなどの工夫をすることで、「一度に大量の情報を選手に落とし込むのではなく、必要な時に、必要な情報量を、必要な場所で見せることが可能になった」と浜野氏は説明しました。
次に浜野氏は、タックルを受けながらもパスを出すオフロードパスを例に挙げ、「必要なスキル設定のための事前分析」について説明しました。オフロードパスのミスの数を分析し、どうミスを防ぐか分析を行ったところ、約3割のミスが悪送球などの「スキルのミス」であり、残りの約7割は、全く仲間を見ていないなど「自分たちの不用意なミス」であったそうです。この分析により、投げれない時には投げないと判断するなど、7割の不用意なミスを減らすことが、チームのスキル上達法として設定されたと浜野氏は述べています。
そして浜野氏は、トレーニングにおける「多面的なレビュー」の重要性についても言及しました。ラグビー日本代表では、効果的なレビューができるよう、アナリストが撮影する映像についても事前に計画を行っていたそうです。様々な種類の複数のカメラを使用し、普通のビデオカメラでは見えない切り口で分析を行っていました。これにより、例えば、プレーの中で起きていたこと、そして選手間のコミュニケーションについても見ることができるようになったと浜野氏は言います。さらには、練習中から各選手のパフォーマンスの評価を行っており、本大会でスコッドに入れるか否か、自身のパフォーマンスが一目で分かる取り組みを行っていたと浜野氏は述べています。
そして最後に浜野氏が重要なポイントとして挙げたのが、「グローカルな文化」です。今大会のラグビー日本代表では、31人中15人が外国出身選手という構成の中、グローバルだけど自分たちだけのローカルな文化を作ろうという意味で「グローカルな文化」が作られたと浜野氏は言います。「グローカルな文化」とは、いわば自習の時間であり、コーチに言われるまでもなく、選手たちが自主的に映像やスタッツを見てコミュニケーションを取り、自分や相手を分析し、お互いに共有していくことを指します。浜野氏によれば、この「グローカルな文化」こそが、全てのことをより高いクオリティーで行うために重要であったとコメントしました。
客観的な情報の持つ意味
続いて浜野氏は、試合におけるハイパフォーマンスとアナリストの価値について「チームに気付きと根拠を与えること」と述べ、試合の準備に向けて相手の特徴や自分たちの立ち位置を捉えるために必要となる「客観的な情報」について言及しました。対戦相手が勝った試合、負けた試合のデータを活用することで、客観的に準備を進めていたと浜野氏は述べています。具体的には、各プレーの起点となるラインアウトの人数構成やトップとなるプレーヤー、さらにはレフェリーの傾向まで、分析できるものは全て取り組んでいたそうです。
一方で浜野氏は、オフロードパスの数について前回大会と比較したメディアの報道に言及し、客観的な情報である数字の持つ意味を考える重要性を強調しました。今回のW杯に向けて日本代表チームがオフロードパスに挑み、磨きをかけてきたとの報道に対し、浜野氏は、実は2015年も2019年もオフロードパスの数はほぼ同じであったと述べています。しかし、数字からさらに踏み込んで映像を見ていくと、2019年のオフロードパスは、2015年と比べて、トライに結びつくポジティブなパスであり、中身は全く違うものであったそうです。この経験から浜野氏は、数字が持つ意味について気を付けるべきであるとあらためて感じたと言います。
ラグビーW杯日本大会を終えて
快挙を成し遂げたラグビーW杯日本大会を終えた今、ラグビーの現場における今後の課題は、「能力を拡大させ続けること」であると浜野氏は語ります。今後、さらにBI(ビジネスインテリジェンス)ツールが身近になり、AIが発達していくことで、情報だけが大きくなり、アナリストや選手・コーチが情報を消化できなくなる恐れがあります。彼らが多くの情報を使用し、成長につなげていくためには、リテラシーが必要であり、これをスキルとして選手含めた現場の人間が取り組んでいく必要があると浜野氏は述べ、今回のW杯では、「グローカルな文化」がこの能力拡大に貢献したと振り返っています。
最後に浜野氏は、あらためてハイパフォーマンスの中でのアナリストの価値について言及し、ラグビー日本代表のチーム全員が大事にしていた「プロアクティブ」と「コミット」というチームのキーワードを紹介しました。ラグビーW杯ベスト8の舞台裏には、この「プロアクティブ」と「コミット」をベースに、チームがより良いものを作り上げていったことを説明し、セッションを締めくくりました。
(レポート:佐藤潤一)