JSAAを立ち上げた2014年から6年が経った2020年。JSAAオープンセミナーの第1回に登壇した当時アナリストの尺野将太氏(広島ドラゴンフライズU15ヘッドコーチ)と千葉洋平氏(一般財団法人日本スポーツアナリスト協会理事)の2人は現在、それぞれのキャリアを歩んでいます。アナリストとして心がけていたことは現在どう活かされているのか。選手の成長を促すために心がけていることはなにか。モデレーターに高林諒一氏(Hull Account Executive-Japan)を迎え、それぞれの思いを語っていただきました。
JSAA初セミナーから5年、テクノロジーの活用は思ったほど進んでいない
本セッションは「アナリストのキャリア」が大きなテーマ。尺野氏は、2013年から2015年までバスケットボール女子日本代表のテクニカルスタッフを務め、15年シーズン後半はアイシンAWでテクニカルスタッフを担当しました。その後、Bリーグの横浜ビー・コルセアーズと広島ドラゴンフライズでプロチームのコーチを3シーズン務め、今シーズンは広島ドラゴンフライズでU15チームのヘッドコーチをやっています。千葉氏は、2009年から日本フェンシング協会のアナリストとして活動。2014年からは日本スポーツアナリスト協会の理事としてスポーツアナリストの普及、育成、啓蒙活動に従事しています。
まず高林氏が前方に1枚の写真を映し出しました。それは2015年の2月に開催された第1回JSAAオープンセミナーの様子。尺野氏と千葉氏が写っています。千葉氏は当時を振り返って「当時NBAで『Sport VU』というトラッキングシステムが導入されて非常にセンセーショナルな印象がありました。NBAの選手スタッツがほぼオープンで見られることは、今後のバスケットボール界をどのように変えていくのだろうかという議論をしました」と説明。尺野氏は続けて「バスケで行けばまだテクニカルスタッフだったり、数字を扱う役職というのができて、ほんの数年経った時期だったと思います。『Sport VU』のような夢のツールが何年かしたら日本に来るのかなと、楽しみに思っていた。ただ、日本としてはまだデータをどう扱っていくか、どう活かしていくかを手探りでやってた時期だと思います」と語りました。
さらに高林氏が当時描いていた「2020年のイメージ」を問いかけて議論を展開。尺野氏は「予想よりもまだテクノロジーの発展が伸びていない」と回答。2015年にNBAの練習会場などを視察した際にみたツールや練習環境は、日本ではまだまだ導入されていないのが現状です。それは体育館など練習環境に関する複雑な問題が絡み合っていることが要因で、「まだテクノロジーの分野が分析のところに入りきれていないのが実際のところ。まだまだ人の面もハードの面も整っていない」と言います。Bリーグでは、B1に所属する全18チームのうち、アナリスト、テクニカル、ビデオコーディネーターなど、分析だけの専門家がいるチームが2チーム、他の仕事と兼任でやってるのが3チーム、あとはアシスタントコーチらが分析も担っているそうです。
千葉氏はテクノロジー進出の現状をこう語りました。
「プロ野球のスタジアムは様々なトラッキングシステムが配備され、活用できるデータも多くなっていてすごく参考になる。バスケでもメディアをどう使っていくかという文脈が2015年当時からすごく大きかったと思います。でも結局はお金を出すところ、お金が集まるところにリソースを割く話になってしまう印象がありますね。未だにその問題は解決はしていないと感じています。日本ではテクノロジーが欲しいからすぐに設置しようとか、絶対必要だからやろうとなる前に、やるべきことがまだまだたくさんある」
アナリストのキャリアも人それぞれ、2人の経歴は?
続いて2人のキャリアについて深堀していきます。尺野氏は、教員からアナリストというユニークなキャリアを持っていますが、これは「偶然」とのこと。知人の退職のタイミングで声をかけてもらったことがきっかけでした。
「僕は大学で専門的に分析や統計を学んだわけではなく、教員としてバスケ部をみている中で道が拓けた感じです。バスケを教える仕事がしたくて、それが教員やバスケのコーチだったんですけれど、やっているうちに1番レベルの高いところもみてみたい、コーチとしてどこまでできるか挑戦してみたいという思いが生まれました。自分には選手としてトップレベルのキャリアがなかったので、何か1つ武器がないと高いレベルに挑戦できないとずっと思ってました。“分析”を自分の武器にできるかなと思って引き受けさせてもらいました」
高林氏に、トップチームのコーチからU15という育成年代へ移行した理由について問われると、「最終的には育成時代に携わりたいと考えていた」と回答。その前に高いレベルを経験しておきたいという思いがあったため、自身にとって理想的なキャリアを歩んでいるそうです。
千葉氏のキャリアはフェンシングの競技のアナリストから始まり、現在はパフォーマンス分析に加え、チームに必要なコンディショニングやスケジュール管理、練習のプランニングなどの情報提供や提案など多岐にわたるようになりました。さらにトレーナーや栄養士など、様々な形で支えてくれる人たちに自分たちのビジョンを伝え、それを踏まえどう対応してほしいかもコーディネートしていくなど、アナリストが対応すべき領域の拡大について触れました。
「自分が分析してデータを提供して、どういった特徴を出していくのか。こうやって戦っていこうなどを決めていく中で、やっぱり選手も基盤的な部分、パフォーマンスをみたときにトレーニング、フィジカルの能力であったり、技術などをいろいろな観点で見なければいけないなと思ったんです。(不足する能力の)穴埋めをするような『部分最適』の作業をずっとしていくなかで、アナリストの枠から出るような活動になってきているかなと思っています」
千葉氏のキャリアのルーツはアスレチックトレーナー(AT)。大学でATを学び、日本スポーツ協会の資格も取得しています。大学は修士、博士課程と進み、バイオメカニクスの研究をしていました。
「アナリストになった経緯は日本スポーツ振興センターに入った段階で、オリンピック競技の強化に特化しましょうというプロジェクトがありました。そのターゲットスポーツにフェンシングがあり『フェンシングに行ってこい』と言われたのが始まり。選手が何を望んでいるのか、コーチがどうやりたいのかが分からなかったので、コミュニケーションを取りながら何をしていったらいいのか考えていく中でスポーツアナリストの仕事を知り、分析などをやり始めた感じです」
アナリストの在り方が変わる時期かも?
続いて高林氏が投げかけたのは「アナリスト時代と現在のキャリアでモノの見方や見えるモノが変わったか」。尺野氏は考えの基本にアナリスト的な分析の部分がありつつ、数字では測れないものの重要性をコーチになって感じるようになったといいます。
「ヘッドコーチが理想としているものと、アナリストが理論的に思っていることを戦わせたらアナリストの方が理論的に確率とか数字とか出しているのでどう考えても説得力はあると思うんです。ただやっぱりコーチが求めているもの、理想としているものには数字では測れないものが絶対にある。そこはコーチの腕の見せどころだと思います。そこを逆に数値化したり、具体的なもので見せるのがテクニカルの仕事でもあると思っています」
千葉氏はデータを集めてそこに情報を付けるという手法を用いないとパフォーマンス分析ができないのか、本当にそれが正しいのか立ち帰って確認するようになったそうです。その背景にはスポーツアナリストたちが共通で抱えている「時間がない」という課題があります。
「(映像を分析するために)1つ1つのプレーにタグ付けするという労働集約型の作業から脱却できない状態なんですけど、そこがある限り考える時間だったり、選手とコミュニケーションを取る時間がどんどん遅れていくんです。であれば、もう必要である特徴点だけを抽出して、スピード感を持って伝えて、その中で選手と一緒に『問い』を作っていく。『本当に正しいのか?』『これってどうトレーニングに落とし込んでいったらよいのだろう』というところを議論したほうが有意義だと思っています」
千葉氏の挙げた課題に対し、尺野氏はテクノロジーの進歩が解決してくれるのではないかと期待を寄せる。
「労働集約型の部分はいずれAIにとって代わられる部分だと思います。現状ではそこがメインの仕事になっていますが、そこを選手やコーチにどう伝えるかに使いたい。やっぱり試合に勝つためのデータ、選手が成長するためのデータが1番大事だと思っているので、いかにマンパワーや時間だけで解決できる部分を少なくできるかというのが課題の1つだと思います。そこにいろいろな機械が入ってきてくれると、本来テクニカルとしてやるべき仕事にもっと時間と考える力を注げる。それが理想です」
さらに千葉氏が続けます。
「2014年の前後はタグ付けなど情報を整理することをやる人が、誰もいないし、術がなかったので重要視されていた時期でした。今、たくさんのツールが出てきて、AIが発達してきているなかで、そこの重要度はどんなもんだろうかと。そこを勇気を持って脱却する、やらないくらいの想いでいないと変わらないのではないかと思います。アナリストがすごく疲弊していくと思います」
今はアナリストの在り方の改革が求められているのかもしれません。
これに対し、高林氏は「労働集約型のところですごく頑張ったからテクニカルのスキルが身についたという観点もあるのでは」と質問。尺野氏はそこも認めつつ、それが全員に必要かは分からないと語ります。「ただやっぱり機械ができるところはやってもらった方が正確だし、早い。そうではないところにもっともっと力を使いたいというはあります」。
アナリストのキャリアパス
アナリストから様々なステップアップをしていく方がいるなかで、一般論的にアナリストのキャリアパスとしてどんなものが考えられるのだろうか。千葉氏は率直に言えば「なりたいものになれるのではないか」という見解を示しました。
「アナリストの能力、技能としてはやはり情報を収集していく力、それを編集して分析をしていく、いろいろ分析術を使っていろいろ比較をしていくことだったり、差異や意味を見つけ出す力、それを適切にエンドユーザーに提供する力が求められていると思います。このフローってすごく尊いと思うんです。今フェンシング協会で強化戦略プランのアドバイザー的な立場になっていて、情報の筋道をつくったり、検証可能なのかどうかといった目線でプランを描くところに少しずつ入り込んでいるところなので、(アナリストには)強化戦略側で必要となるようなスキルセットというのは、あるのかもしれないなと思っています」
一方で違う分野で活躍できるかは「まだまだ」と思っているとのこと。
「例えばデータサイエンティストとしてビジネス界で活躍されている方々が、スポーツから来た人に負けるかと言われると、データサイエンティストの世界には絶対勝てないのではないかと思っています。スポーツの中でスポーツの課題に対して、例えばプログラミングができるとか、分析ができるというのはものすごくスキルが高いし、重要度も高いと思う一方で、違う他分野でのスキルセットが必要だと思います」
尺野氏は自身がトップレベルの選手ではなかったため、選手をどうやって納得させるか、説得するかとなった場合、経験とかキャリアではなく、客観的な数字や映像を見せて説明できることがすごく武器になっているそうです。
「(自身の)トップレベルのキャリアがそのまま活かせる人はそのままコーチになれると思います。そうじゃない人には(アナリストの能力は)1つ武器になるかなと。客観的にバスケットボールのデータを使って人に説明したり、説得するところが、僕にとってコーチになっても役に立っています。アナリストからコーチというステップは、トップレベルの競技者としての経験がない僕には良い入り口になったと思います」
この先10年の決意表明
高林氏は最後に、SAJ2020のテーマ『Hack The Decade』にちなんで両氏にこの先10年間の決意表明をお願いして締めくくりました。
尺野氏は、育成年代のコーチとしてやっていくことを宣言。目標は自分自身が良いコーチになることに留まりません。「良いコーチとそうでないコーチ。皆さんも経験上、教員とか立場の上の人でいたと思うのですが、そこってどこに差があるのかを可視化できれば良いコーチの良い部分を下のコーチにも伝えていけるのかなと思っています」。
千葉氏は「この10年間、オリンピック(東京大会)が終わったあとに、想像できないような未来が出てくるんだと思います。その中でどういう環境になっても自分らしくいられる、そういった武器を僕はアナリストをやってきて手に入れたと思っているんです。そういった多様性を生むアナリストとか業務というのはやはり自分の中ではすごく財産になっているので、そういった視点でこれからの10年間を見ていきたいと思います」
講演のグラフィックレコーディング
(レポート:神澤瞳)